第8回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門・最優秀賞受賞作品


 『 魔法をかけて、未来(さき)だけを見て』
        


                                         纐纈(こうけつ)ほのか

 私の何がいけなかったのか。未だにわからない。永遠の謎。徐々に徐々にエスカレートしていった。

 私にはまったく身に覚えがないが、中2のあの日、何かがあった。何かが弾けたのだ。

 「○○、大丈夫だよ、私たちがぶっ潰すから。」「暗殺計画立ててるからね。」

  そんな言葉が聞こえてきたのは気のせいではなかったと思う。でも、私は何もしていない、はず。だから、私に向けられているなんて想像もしていなかった。その日から全てが変わった。廊下の曲がり角でたまたま鉢合わせただけ。それだけできゃーっと叫ばれる。まるでばい菌扱い。悪口を言われる。物が消える。無視される。ありもしない噂を広められる。悪口も全て聞こえているのに。さらにエスカレートすると、目の前で本人だと分かるかわからないかの狭間で言うスリルを楽しみ始めた。

 「あー、めっちゃ大きい声で言っちゃったー笑。」

 「大丈夫やて、うちらいつも言っとるでー笑。」

 しんどくてしんどくて。それでも私は、毎日歯を食いしばって学校に行き続けた。どんな気持ちで私がそれに耐えているのか。一度でも想像してくれたことはあっただろうか。私の立場に立って考えてみてくれたことはあっただろうか。

 しかし私は、自分のされていることが『いじめ』だなんて微塵も思っていなかった。本で読むいじめも、ニュースで聞くいじめも、私が受けているよりもっともっとひどいもの。私は軽い『いやがらせ』を受けているのだと信じて疑わなかった。これをいじめだなんて言って騒いではいけないのだとすら思っていた。
〈いじめに基準はない〉

 担任の先生は私の相談に対し、こんな対処をしてくださった。道徳の授業。配られたプリントに書いてあった内容。それは、いじめられ、自ら命を絶ってしまった学生たちの遺書だった。読んでみて驚いた。されていることは私となんら変わらない。それで命を絶っている人がいるとは。はっとした。私のされていることもいじめなのかもしれない。さらに追い打ちをかけてきたのは、いじめが収まった後も苦しみ、遂には飛び降りてしまった生徒がいるという事実。耐えれば全てが終わるわけではない。この恐怖は一生付きまとってくる…。絶望しかなかった。

 そして、事件が起こった。ある先生がこう言い放ったのだ。

 「この学校はいじめのない良い学校です」

と。生徒がたくさんいる前で。悔しかった。先生にも相談していたにも関わらず、私の声がまったく届いていないことを思い知らされた。溢れてくる涙を抑えることは、もはやできなかった。気づかれないように拭うのがやっと。教室に来ることができず、辛い思いをしている後輩を私は知っている。私も現に辛い思いをしている。彼女らがなぜここにいないのか私がなぜ泣かなければならないのか。少しは考えてほしかった。

  深く考えずに言い放ったであろう一言に、ここまで苦しまされるとは思ってもいなかった。

 いじめに基準はない、この時私が強く思っていたことだ。一人でも多くの人の心に刻みたい。いじめに基準はない。いじめに基準はない。そう、いじめに基準はないのだ。辛い思いをするのは程度に関係ない。辛かったら、苦しかったら、嫌だと思ったら。それはもういじめと言えるのだ。

〈魔法をかけて。未来だけを見て。〉

 私のいじめ克服。

 まず一つ、笑うこと。とにかく笑う。私の味方でいてくれるであろう子たちと一緒に笑う。すると、気持ちが軽くなる気がする。

 たとえ何を言われていたとしても。廊下ですれ違ったら、たまたま目があったら。私は彼女らに向かってニコって笑いかける。この笑顔にはいろんな意味が含まれている。私、負けないよ、の笑み。なんにも応えてないよ、の笑み。改心してよ、の笑み。なにこいつ、全然へこたれてないじゃん、私たちのしてることって意味ある?くらいに思ってくれたら本望だと笑う。ニコってするだけ。だけど、相手に笑うっていうのは勇気がいる。気持ち悪って言われるのはわかってる。恐怖ももちろんあった。でも笑った。笑顔が私の勇気と元気につながるから。

 私は、笑顔って、自分も相手も周りも明るくなる、幸せを呼ぶものだと思う。だからこそ、辛いときほど笑うのだ。鏡の前で笑ってみる。それだけでも、明日もがんばろう、そんな気持ちになれるかもしれない。

 暗い顔してたら、間違いなく心はどんどん沈んでいく。笑顔は魔法。明日への希望。ほんの少しの勇気で笑ってみれば、自分に魔法がかかる。そうしたら何かが変わる、私はそう思う。あれ、この子明るいじゃん、楽しそう、そんな印象持たれたら勝ち。もうあの子たちになんて負けやしない。味方は増えていくと私は信じてる。

 二つめ、未来だけを見ること。私のメンタル鍛えてくれたのはあの子たち。状況が落ち着いてから、そう考えるようになった。実は小学生の頃もいろいろあって、学校に行きたくない、と母に言ったことがある。すると母は、

 「行かなくてもいいんじゃない?休めば?」

と返した。母は私のことを本当によくわかっているからこそ、こう答えたのだ。母の読み通り、私はそう言われると、何としてでも行ってやる、そんな気になってくる。きっと自分に負けた気がするのだ。そんなことで休むの?私は弱い…私は弱くなんかない!絶対休むもんか。結局、重い足取りで学校へと向かっているのだ。

 そして中学。小学生のときどうしてあんなことで悩んでいたのだろうと思うくらい辛かった。苦しかった。でも、学校へ行かないという選択肢は私にはなかった。まったく。休んだら負ける、そう思っていたから。しかしこれは小学生のときとは違う。いやがらせをしてくる子たちに負けたくなかったから。休んだら思うつぼなのだ。思い通りにはさせたくなかった。

  なにより私には目標があった。高校は、私の地区でトップレベルの進学校に通いたかった。受かりたかった。そしてあの子たちとはなんとしてでも離れたかった。辛い、苦しい、そんなことより未来を見た。ここで休んでしまったら…そう想像する。今耐えるより未来が暗くなることのほうが、私は怖かった。こんなことで人生台無しにされてたまるか。今我慢する、耐え抜く、そうすれば絶対に明るい未来が待っている。

 どれだけ雨が降っていても、土砂降りでも。いつかは必ず晴れる。雨上がりの空は本当に澄んでいる。綺麗な青空に出会うために、私は進んだ。逃げなかった。その選択をした私を心からほめたたえたい。よくやった。がんばったって。その証拠に、無事、志望校に受かり、今、本当に楽しい。こんなにも学校が楽しいと思うのはいつぶりだろうか。

 私がこうして二つのことを貫き続けることができたのは、支えてくれる人がいたことも大きかった。私はなんでも話さないと気が済まないタチで、とりあえず全てを家族に話す。これもまたそうだった。話して全部吐き出していたから。永遠に続くかのような私の話に、時には一緒に涙して寄り添ってくれたから。だから、潰れそうだった心が何とか保たれていたのだと思う。

 また、こんなことをされていてもそちらに流されず、今まで通り一緒にいてくれる友達がいた。数こそ少なかったが、流されない彼女たちにものすごく救われた。彼女たちがいなかったら、私は学校へ行くことを諦めていたかもしれない。私がいやがらせを受けていることに気づいているのかいないのか、それには一切触れてこなかったため分からない。だが、それが優しさだったのかもしれないとも思う。

 さらに、クラスの男子。男子には気づかれないようにやっていたのか、そもそも興味がないからなのか、男子の私への接し方は今まで通りだった。それにすごく救われた。彼らはいつも笑わせてくれる。私が笑顔でいることができたひとつは彼らだったのかもしれない。

 〈消えない恐怖、消えない痛み〉

 中三になり、理由はこれもまた分からないが、いやがらせがぐんと減った。この経験を私は人権作文に書き、全国で上位に入るほどの賞をいただくことができた。認めてもらえて、汲み取ってもらえて、辛かったあの日々が報われたように感じた。

 表彰式において作文を朗読した際、全く知らない方が涙してくださっていた。私の想いが伝わったのだと思った。人の心を動かすことができたのだと。この経験に心を痛めてくださる方がいることが本当に嬉しかった。何度も何度も、私が悪いのではないか、私が変われば状況は良くなるのではないか、私が間違っているのではないかと思い、悩んでいた。私はきっと正しかった、私が進んできた道は間違っていなかったと思えるできごとだった。

 しかし、やはりあのいやがらせはその後もずっと私についてくる。良いように考えればメリットも確かにあった。が、失ったものや後遺症は大きい。

 まず、その作文を新聞に全文掲載するという話になったときのこと。とても光栄なことだ。でも新聞に載れば、見つかってしまう。せっかく落ち着いたいやがらせがまたぶり返すかもしれない。その原因を自ら作るなんて絶対に嫌だ。もう二度とあんな思いはしたくない。そんな思いから、葛藤の末、二つの新聞社に掲載をお断りさせていただくことを選んだ。悔しかった。できることなら、もっと多くの人に読んでほしかった。その思いが届くことはなかったのだ。

 また、あの頃の痛みは未だ消えない。卒業まで怯えて過ごし、高校は離れたとはいえ、あの頃をふと思い出すこともある。思い出したくなんてないけれど、なにかの拍子に、ふと。今でも怖くなるし、涙が止まらないことだってある。なぜ私がまだ苦しまなければならないのか。きっとみんなは忘れている。でも私にとっては、『過去のこと』であっても『忘れられること』ではない。学校に行き続けたからといって、志望校に合格したからといって、なにも彼女たちを見返したとは思えない。ただただ我慢して耐えて、私が私に勝った、強くなったとしか思えない。

 〈心から笑える今がある〉

 でも、決してこの経験は無駄ではなかった。人生に無駄なことなど一つもないと言うように、この経験は、私の人生の糧となっている。これが唯一のメリットかもしれない。自分への自信や肯定に限って得られなかったが、人の痛みを知る人間になれたのではないだろうか。相手の気持ちを人一倍気にできる人間になれたのではないだろうか。それに、メンタルは確実に鍛えられている。ちょっとやそっとのことではへこたれない強い心が育ったと思う。明るいねっていつも楽しそうだねって、そう言われることも増えた。たとえ無理にでも、笑っていてよかった。

 心から笑える今がある。

 それって本当にすばらしいことなのだと、今、改めて思う。おそらく私の心の傷は消えないし、あの日々を忘れる日が来るとも思えない。だから私はこう捉えることにしている。

 いじめられてよかった。

 辛い思いをしたからこそ伝えられることがある。人の痛みを知れたからこそわかることがある。苦しんでいる誰かの小さな勇気につながったら、私が苦しんだあの日々は報われる。だから私は、苦しい思いをしている人の力になりたい。


 〈負けないで〉

 もし、周りに苦しんでいる人がいるのなら。「そんなことしちゃいけない」そう言えるのが一番いいに決まってる。それでいじめが無くなるのなら、それに越したことはない。だけれど、そう簡単にはいかないから難しい。次は自分がターゲットにされたら…と多くの人は思うだろう。

 だからそっとでいい、手を差し伸べて。普通に喋ってくれるだけでいい。それも、誰もいないところでいい。少なくとも私はそうだった。いじめられているのをわざわざ「大丈夫?」なんて気にしてほしいんじゃない。少しでも一緒に笑える人がいるだけで救われることもある。なにか、なにかできることがあるはずだから。ただの傍観者にだけはならないでほしい。

 どれだけ些細なことでも、私は嬉しかった。私は味方だよ、声にはしないけれど、そう言ってくれているようで。私が辛い思いをしているのではないか、そういったようなことを家で話してくれた子がいたらしい。それがその子の親、先生、私へと伝わってきた。

  それを聞いたとき、泣きそうになった。誰かはわからないままだけれど、気にしてくれている子がいるというだけで私はとにかく嬉しかった。今でも忘れられない。心があたたかくなった。まだがんばれるって思えた。本当に心強かった。

 あなたしかいないから。その事実に向き合ってほしい。自分の弱い心に負けないで。

 もしあなたが苦しい思いをしているのなら。

 いま、笑ってみてほしい。楽しいことや好きなことだけを考えて笑顔になってみて。いつか必ず、心から笑える時が来る。そう信じて。がんばれなんて言わない。あなたがいることに意味がある。みじめなんかじゃない。私みたいに、これはいじめじゃないと我慢してはいけない。ぐっとこらえることも必要かもしれないが、自分が壊れてしまうほど耐えることではない。悪いのはあなたじゃないんだから。いらない人なんていないから、お願いだからもう少し踏ん張っていてほしい。

 負けないで。私は乗り切った。決して私の経験がすべてじゃないけれど。生きててよかったって思うことたくさんあるから。そう思える日は絶対に来るから。

 私は本当に恵まれていたと思う。相談できる人がいた。一緒にいてくれる友達がいた。なぜか収まった。軽い方だと思い込んでいたし、無駄なほどの意地とプライドがあったから、なんとか乗り越えられた。今はあの苦しみが嘘だったかのように充実し、毎日が本当に楽しい。

 私は笑って克服した。未来だけを見て克服した。

 今、一緒に笑おう?ほら、魔法がかかった。もうすぐ、綺麗な青い空が見えるから。
 魔法をかけて。未来だけを見て。